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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)10440号 判決 1969年7月16日

原告

佐藤久子

代理人

鈴木政行

被告

大東京火災海上保険株式会社

代理人

宮原守男

(外三名)

主文

1  被告は、原告に対し七五万円およびこれに対する昭和四三年九月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  原告その余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを三分してその一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

4  この判決は、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し二二五万円およびこれに対する昭和四三年九月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

(一)  保険契約の締結

訴外佐藤善紀(以下、善紀という。)は、被告との間に普通乗用自動車ニッサン四〇年式車台番号WP三一―一一六五九、登録番号練馬五ぬ五五一三(以下、本件自動車という。)について保険期間を昭和四二年六月三〇日から同四四年六月三〇日までとする自動車損害賠償責任保険(以下、自賠責保険という。)の契約(保険証明書番号三三一〇九八五八号)を締結した。

(二)  事故の発生

昭和四三年四月一八日午後二時三〇分頃善紀は本件自動車を運転して埼玉県大里郡川本村大字瀬出七八七番地先路上を寄居方面から熊谷方面に向けて進行中右自動車を麦畑に転落させて同乗していた訴外佐藤千代(以下、千代という。)を死亡させた。

(三)  善紀の自賠法三条に基づく責任

善紀は、本件自動車を所有し自己のためにこれを運行の用に供するものであるから、自賠法三条に基づき原告に対し以下の損害を賠償する義務がある。

(四)  損害

1 千代の喪失した得べかりし利益 一五〇万円

(死亡時) 満五歳

(稼働可能年数) 満二〇歳から満五五歳まで三五年

(収益) 満二〇歳から満二四歳までは年額二六万五八〇〇円、満二五歳から満五五歳までは年額二九万〇五〇〇円(控除すべき生活費) 満二〇歳から満二五歳までは収入の七割、満二六歳から満五五歳までは月額一万二〇〇〇円(毎年の純利益) 満二〇満から満二五歳までは七万九七四〇円、満二六歳から満五五歳までは一四万六五〇〇円(年五分の中間利息控除)ホフマン単式(年別)計算による。

2 千代の慰謝料 二〇〇万円

千代は、その春秋に富む若い生命を本件事故によつて失つた。この精神的損害を慰謝すべき額は、二〇〇万円が相当である。

3 原告による相続

原告は、千代の母として千代の前記賠償請求権の二分の一にあたる一七五万円を相続した。

4 原告の慰謝料 五〇万円

ただし、仮りに千代の慰謝料請求権の相続が認められない場合には、原告は予備的にその固有の慰謝料として一五〇万円を主張する。

(五)  結論

よつて、原告は被告に対し自賠法一六条一項に基づき二二五万円および訴状送達の翌日である昭和四三年九月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁

(一)  請求原因第(一)項は認める。

(二)  同第(二)項は不知

(三)  同第(三)項中、善紀が本件自動車を所有して自己のためにこれを運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。

(四)  同第(四)項は争う。

(五)  同第(五)項は争う。

三  被告の主張

(一)いわゆるフアミリー・カーの主張

原告は、善紀の妻である。そして本件自動車は、いわゆるフアミリー・カーとして夫婦共同目的のために購入され、本件事故も原告の実姉の夫の病気見舞(その死後葬儀に参列)のため原告ら一家が揃つて福島県郡山市に赴き、その帰途に発生したものである。したがつて原告は、夫たる善紀とともに本件自動車の当該運行について支配と利益を有していたものであるから本件自動車の共同運行供用者として自賠法三条の「他人」にあたらない。

(二)  いわゆる好意同乗の主張

ドイツ、フランス、スイスやアメリカの相当数の州など諸外国の立法例においては、いわゆる好意同乗者、なかんずく親族に対する自動車事故損害賠償責任が免除されている。わが自賠法三条を解釈するにあたつて好意同乗の態様等によつては民法五五一条の類推適用により加害者に故意または故意に準ずる重過失がない場合には損害賠償請求権が発生しないと解すべきである。そうするときは、原告および被害者本人たるその子千代は同乗中の近親者であり、好意同乗者の極限にある者というべきであるから、夫たる善紀に対しては自賠法三条に基づく損害賠償を請求できないといわなければならない。

(三)  損害不発生の主張

本件のように被害者本人たる子が死亡している場合には、母親が直接出損するような損害は考えられず、そこで観念的に生じたと考えられる損害はたかだか子の得べかりし利益と遺族固有の慰謝料である。その得べかりし利益なるものは単なる「期待利益」にすぎないものであつてその考え方の基底には子を親の所有物とみる観念の残渣があるばかりでなく、親の平均余命を超えて子の稼働可能の全期間にわたつてこれを認めるときはその不合理まさにここにきわまるというものであり、また慰謝料なるものも、加害者が夫であることを考慮するときは認める余地のないものである。

(四)  損害賠償請求権の濫用等の主張

本件におけるような夫婦共同生活体の構成員相互間の事故については、損害賠償請求権の行使は「法律は家庭に入らず」の法諺のとおり自然債務ないし権利の濫用であると解すべきであるから、原告は本件損害賠償請求権を行使できない。

(五)  直接請求権不発生の主張

民法七五二条、七六〇条の趣旨に照らし本件の場合を考えると、善紀は原告と千代を含む夫婦共同生活体を主宰しているものであつて、原告と千代は善紀の経済生活圏内で扶助、扶養されているものである。したがつて原告が自賠法一六条一項の直接請求をしても結局は善紀の経済生活圏内、すなわち善紀の懐中に入るものである。そうだとすれば本件では原告が形式上直接請求の主体になつているけれども実質上は善紀が請求するものであり、かかる請求を認めることは加害者の直接請求を許すという不合理を肯定する結果になる。このようにして自賠法の制定にあたつて夫婦間および未成熟の子と親との間の事故は保険の対象となつておらず、保険料率の算定においても、右のような事故発生の危険率は歩行者や一般の同乗者と比較にならないほど高率であるにもかかわらず考慮されていないのである。したがつて右のような事故の場合にも得べかりし利益や慰謝料の賠償が認められるとするならば、他の大多数の強制保険加入者の負担において不当に利得をするの誹りを免れない。

自賠法はあくまでも損害賠償保障法であつて社会保障法ではない。自賠責保険はあくまでも責任保険であつて社会保障ではないのである。そしてその立法趣旨は被害者の「適正な」保護にあり、決して「過」保護を目的とするものではないことを付言する。

(六)  過失相殺の主張

民法七二二条二項に定める被害者の過失とは、広く被害者側の過失をも包含する趣旨と解されるところ、本件における被害千代の監督者たる善紀の過失が右被害者者側の過失にあたることは他言を要しない。そして本件事故は善紀が運転を誤った過失により発生したものであり、その過失の割合はまさに一〇〇パーセントである。それ故被害者千代の損害額について善紀の右過失を斟酌するときは損害額は皆無となる筋合である。

四  被告の主張に対する答弁ないし反論

(一)  いわゆるフアミリー・カーの主張について

本件事故が葬儀の帰途に起つたことは認めるが、その余の事実は否認する。本件自動車は善紀が自己の土木工事の請負業務を遂行するために購入されたものである。

(二)  いわゆる好意同乗の主張について

争う。わが自賠法は好意同乗を免責事由とする明文を置いていないのであるから軽々しくこれを保護の対象から除外するような解釈はすべきではない。

(三)  損害不発生の主張について

本件損害は主として生命侵害による死者本人の喪失した得べかりし利益と慰謝料であり、しかして右の逸失利益は単なる期待利益ではない。

(四)  損害賠償請求権の濫用等の主張について

争う。父が交通事故によつて子の生命・身体を侵害した場合にその違法性を肯定することは比較的容易であり、かつ、その場合に子ないし母が父に対し損害賠償請求権を行使することは、親子夫婦共同体保持の目的に相反するものではない。

(五)  直接請求権不発生の主張について

争う。夫婦が自己の名で獲得した財産はその者の特有財産となる。また、運輸大臣によりなされた自賠法の提案理由にも、本法施行後における要望事項を集約し、これを再確認する意味でなされた衆議院附帯決議にも夫婦親子間の事故を保険の対象としなかつたというような事実はない。そして政府が六割を再保険している強制保険にあつては、かかる事故が保険料率の算定にあたつて考慮されているかどうかは右の事故を保険の対象とするか否かを考えるにあたつて重要な問題ではない。

(六)  過失相殺の主張について

本件事故が善紀の一方的な過失によつて発生したものであることは認める。しかし本件において善紀は被害者側に対立する加害者であつて被害者側に入るものではない。

第三  証拠関係<略>

理由

一(保険契約の締結および事故の発生)

請求原因第(一)項は当事者間に争いがなく、同第(二)項は<証拠>によりこれを認めることができる(ただし、事故発生地は、埼玉県大里郡川本村大字瀬山七八七の三と認定する。)。

二(善紀の自賠法三条に基づく責任)

善紀が本件自動車を所有してこれを自己のために運行の用に供していたことについては当事者間に争いがない。ところが、被告は原告は善紀とともに本件自動車の共同運行供用者として自賠法三条の他人に該らない旨主張する。しかしながら右に他人とは生命または身体を害された運行供用者および運転者以外の者をいうのであつて同法一六条の被害者とは必らずしもその範囲を同じくするものではない。したがつて同法三条の他人に該るか否かは原告について判断されるべきものではなく、本件事故によつて死亡した千代について考えられなければならない。そして運行供用者とは具体的に運行支配と運行利益との帰属する者をいうのであるが、<証拠>によれば、千代は昭和三七年五月五日善紀と原告との長女として出生し、本件事故当時満五歳一一月であつたことが認められるところ、一般にこのような幼女が自動車の運行を支配し、その運行の利益を享受することは考えられないので、本件千代につき本件自動車の運行の支配および運行利益の帰属を認めることはできない。従つて、被告の右主張は失当である。 (もつとも、原告が善紀とともに本件自動車の運行供用者であるときは原告も千代に対し本件事故による損害賠償の債務を負うから、後記のように原告が千代の損害賠償請求権を相続によつて取得しても、それは原告の右債務の負担部分について混同によつて消滅することとなるので、原告が運行供用者になるかどうかはこれを認定しておく実益がある。<証拠>によると次の事実が認められる。すなわち、本件自動車は普通乗用自動車として登録されているが、その車種はいわゆるライトバンであること、善紀は本件事故当時建築工事の人夫頭ないし工事の下請のような仕事をしており、その輩下に数名の人夫がいたので、本件自動車は輩下の人夫を工事現場まで運送するために購入したものであること、当時原告は善紀らと東京都杉並区上高井戸に住んでいたこと、右自動車を購入した当初善紀はいまだ運転免許を取得しておらず運転はもつぱら輩下の者がしていたこと、その後善紀は運転免許を取得したが、家族でドライブするようなことはなかつたこと、ただ当時原告は夫善紀の監督する飯場の炊事を担当しており幼稚園に行つていた千代を迎えに行く時間が仕事の都合で遅くなつたときなどに四―五回本件自動車を利用したことがあつたこと、原告は自動車の運転が全く出来ないこと、本件事故は原告の姉の夫の病気見舞に一家揃つて群馬県鬼右に出掛け、右義兄が死亡したのでその葬式をすませて帰京する途中発生したものであるが、その際原告は子供とともに後部座席に同乗していたこと、なお、本件自動車で出掛けるようになつたのは千代を頭に幼ない三人の子供を帯同して電車等で行くことが難儀だつたためであること。以上の事実が認められる。右事実によれば、本件自動車の運行支配および連行利益はもつぱら善紀に帰属していたものであつて、原告は同乗者にすぎないというべきであるから、原告が本件自動車の運行供用者ということはできない。)

また、被告は原告および千代は好意同乗者であるから善紀には自賠法三条の責任はない旨主張する。しかし法文上好意(無償)同乗者に対する運行供用者の責任を免除する規定はない。民法五五一条は贈与の目的である特定の物または権利に瑕疵または欠缺があつた場合の規定であつてこれを直ちに好意同乗の場合に類推して適用することはできない。もつとも自賠法三条自体の解釈において好意同乗者の同乗に至る経過および同乗後の挙動等によつては、本来の運行目的に副わぬ運行中の同乗者の事故につき運行供用者の責任を全部ないし一部制限すべき場合もありうると考えられるが、本件の前記事実関係においてはかかる場合に該当しないものというべく、結局被告の右主張は採用できない。

次に損害の発生の有無についてみることとする。一体、死亡被害者のいわゆる逸失利益賠償請求権が相続により遺族に取得されるとみることは、死者本人が自己の死亡による逸失利益賠償請求権を取得することを前提とする理論構成自体に疑問の余地がないわけではなく、むしろ被害者の死亡によつて遺族に生じた財産上損害の賠償請求権を観念する方が事態の解決に便宜な場合も少なくないことは当裁判所に顕著であるけれども、だからといつて、逸失利益相続による理論構成を直ちに否定することはできない。ただし、被害者によつて扶養せられていた者が相続人の範囲外に存在するなどの例外的事態は格別として、通常の場合には、被害者の死亡によつて財産上損害を生じる者の範囲は相続人の範囲に一致するのであり、然るかぎり逸失利益相続の理論は、右の損害額の算定の一方式として十分の妥当性を主張しうるものであるのみならず、右理論の肯認し来つた多年の判例および実務の現況に鑑み、何らか―例えばいわゆる定期金賠償を可能とするように制度が整備せられるに至るなど―の特段の事情なしに、今にわかにこの理論を廃棄することは、法的安定を害し、従来この理論によつた他の被害者との取扱い上の公平にも反するおそれなしとしない。

かようにして逸失利益相続の理論を採用する場合、被害者が幼児であることは、本質的な問題でなく、額の算定に影響するに過ぎないと考えられる。けだし、幼児については将来労働可能の状態にまで生育し、労働力を備えて収益をあげるに至ることは蓋然性を以て語りうるに過ぎないが、収益力の統計資料等による算定も、これを控え目に見ることとすればその蓋然性を高度ならしめることができるのであつて、被告のいうような「単なる期待利益」に過ぎぬものではないし、生育後の状態を観念しうる以上、その両親が子を失つたことにより財産上損害を蒙ると考えられることは当然で、これを以て「子を親の所有物視したもの」と見るのは失当である。子の稼働年数を親の平均余命を超えて算定することは、もしこの逸失利益額算定を現実に発生すべき将来損害の認定として把握するときは致命的な不合理たるを免れないが、前示のようにこの算定は遺族に生ずべき損害概算定の一方式とみるべきものであり、幼児の場合には将来生育後獲得されるべき労働力ないし収益力の評価としての性格を有するのであるから、前記の不合理は致命的な缺点となりえず、実質的にもいわゆる控え目な算定方式をとることによつて回避することができる、と考えられる。

これに対し、死者本人の慰謝料請求権についてはこれを認める余地がないから、予備的主張にかかる近親者固有の慰謝料請求権が遺族たる近親者に生ずるか否かを判断すれば足りる。ところで、本件においては、被害者千代は加害者善紀の子であり、その母として民法七一一条の慰謝料請求権を主張する原告自身は右善紀の妻なのであるから、本件は夫婦の一方が加害者であり他方が被害者である場合にも比しえられるが、夫婦は精神的、肉体的、経済的共同体を構成しているものであるから、このような場合に被害者たる配偶者に慰謝料を認めるべきか否かは検討を要するところである。不法行為ある以上、被害者たる配偶者が精神的苦痛を受けるであろうことは容易に考えられるところであるが、不法行為が過失によつて発生した場合であつて、かつ、それが夫婦間の円満な共同生活の維持に致命的な影響をもたらすことなく、その後も夫婦の共同生活が続けられているときには、被害者たる配偶者は右不法行為によつて蒙むつた精神的苦痛を忍受すべきもので、慰謝料請求権は発生しない、と解するのを相当とする。そして、この理は配偶者の一方が他方に対して民法七一一条の近親として慰謝料請求権を主張すべき場合にも同様とせねばならない。原告本人尋問の結果によると原告は本件事故によつて精神的打撃を受け、現在は残つた二人の子供とともに善紀の実家に帰つており、東京にいる善紀とは別居していることが認められるが、本件事故によつて夫婦仲がまずくなつたわけではなく共同生活の実は失われていないと見るべきものであるし、また本件事故が善紀の過失によつて発生したものであることは後記のとおりであるから原告は千代の死亡によつて蒙つた精神的苦痛を忍受すべく、したがつて原告の善紀に対する慰謝料請求権は発生しないというべきである。

以上のように円満な家庭生活の営まれている夫婦の一方の他方に対する慰謝料請求権は発生しないと見るべきであるが、未成熟の子の親に対する逸失利益の賠償請求権が発生すること、それを他方の親が相続によつて収得することは前記のとおりである。ただ、夫婦は相互に共同体としての家庭の生活を円満に保持する義務があるから、夫婦間で損害賠償請求権を行使することは通常の場合には右義務に違反し、ひいて権利の濫用になることが多いと考えられる。しかしその行使が夫婦共同体保持の目的に反しないかぎりはそれを行使することはもちろん許容されるのであつて、保険会社に対し自賠法一六条一項の賠償額の支払いを求める前提として、被害者の逸失利益請求権を相続した配偶者が加害者たる配偶者に対し同法三条に基づくそれを行使しても、夫婦共同体を破壊する虞れは全くないから、共同体保持の目的に反しないことはいうまでもない。したがつて善紀は本件自動車の保有者として原告に対し同条に基づく以上の賠償義務がある。

三(原告の被告に対する直接請求)

自賠法一六条一項の賠償額の支払いの請求(直接請求)は同法三条による保有者の損害賠償責任が発生したときに被害者に対して認められ被害者からの請求である以上これを制限する規定はない(同条二項によつて義務を免れることができるだけである。)そして右にいう被害者とは身体を害された者本人生命を害された者の当該損害賠償請求権を相続した者、民法七一一条によつて保護される者および―例えば治療費を出捐した者など―人身事故による損害の出捐者をいうのであるが、とくに親子夫婦間の事故の被害者を除外すべき理由は見出すことができない。被告は、親子間および夫婦間における事故の被害者に直接請求権を認めるときは、加害者が夫婦共同体の主宰者である場合には受領した賠償額は加害者の懐に入つてしまう結果になる旨主張するが、右によつて受領した賠償額は夫婦間においては民法七六二条により受領した者の特有財産になり、未成熟の子との関係においては、親がたとえその子の親権を行う者であつても、民法八二四条以下の子の財産になるのであつて、決して加害者の懐にまぎれ込むものではない。実際には、このようにして取得した財産が取得した者の特有財産になり子の財産になるという観念は、円満な夫婦共同体内においては、稀薄であることは確かであるが、しかしそれをもつて単純に加害者の懐にまぎれ込むとすることは前記の規定の趣旨を没却するものであつてかかる見解には容易に左袒することはできない。なお、被告は親子・夫婦間の事故が保険料率算定にあたつて考慮されていないことをもつてこれら被害者の直接請求権を否定する理由の一つとするものの如くであるが、右のような事故が保険料率の算定にあたつて考慮されていないとしても、それは自賠法一六条一項の解釈を誤つた結果にすぎないのであつて、それをもつて同条項の解釈の実質的な理由とすることは本末を転倒したものといわなければならない。そした右のような事故の被害者に直接請求を認めても、それは決して被害者を保護し過ぎるものではなく、右の被害者に直接請求を認めることこそ自動車について保険契約の締結を強制し自動車事故による損害賠償を保障して被害者の保護を図らんとする自賠法の立法趣旨に合するものというべきである。かくして被告は原告に対し同法一六条一項に基づき後記賠償を支払う義務がある。

四(過失相殺の主張について)

被告は本件事故は千代の監護者たる善紀の全面的な過失によつて発生したものであるから、善紀は被害者側に入る者として一〇〇パーセントの過失相殺がなされるべき旨主張する。善紀が千代の父であることは前記のとおりであり、本件事故が善紀の一方的な過失によつて発生したものであることは当事者間に争いないところであるが、過失相殺はそもそも被害者とそれに対立する加害者との間において損害の公平妥当な分担をはかるものであり、抽象的には一応被害者側の範囲に入る者であつても、具体的事案によつては右の目的に照らし被害者側に立つということはできないこともありうるのであつて、本件における善紀も、抽象的一般的には千代の父親としてこれを監護すべき義務を負つていたとはいえ、本件における事故の具体的状況においてはその過失によつて千代を死亡せしめた加害者としての地位に立つていたものであるから、過失相殺における被害者側の人物として見るのはあたらないというべきである。したがつて被告の右主張は採用のかぎりでない。

五(損害)

そこで進んで千代の逸失利益を算定することにする。千代が本件事故当時満五歳一一月の女子であることは前に認定したとおりであり、<証拠>(労働大臣官房労働統計調査部編・労働統計年報第一八回五七表)によると、全産業の常用労働者一〇人以上を雇用する事業所における女子労働者の平均月間きまつて支給する現金給与額は一万八二〇〇円、平均年間特別に支払われた現金給与額は四万一六〇〇円であることが認められる。右月間給与額を年間のそれに引き直し右年間特別給与額を合わせると年間給与額は二六万円になるが、千代は満二〇歳に達したころから満六〇歳に達するころまで四〇年間毎年右金額程度の収入を得ることができるであろうと思われる。そして千代の生活費は右収入額の五割程度と考えるのが、前記控めな算定の趣旨からも相当であるから、これを右収入額から控除すると、千代の年間得べかりし利益は一三万円となるが、これをその死亡時において一時に請求するものとして年齢の端数を切り捨てて満六歳としたうえ、年ごと複式ホフマン計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると、その現価は二〇〇万円(万未満切捨て)となる。

原告が千代の母であり、善紀がその父であることは前記のとおりであるから、原告は千代の右逸失利益の二分の一にあたる一〇〇万円を相続したものであるが、原告は千代の逸失利益の相続分として七五万円を主張するので右の限度でこれを認容することとする。

六(結論)

よって、原告の本訴請求のうち七五万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四三年九月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(倉田卓次 福永政彦 並木茂)

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